2025/11/18
こんにちは!
medeluのフラワーデザインを監修している古賀です。
お花を愛でるみなさんに産地のことをもっと知ってもらいたくて記事の連載をスタートしました。
あなたの部屋に飾られた、その一輪の花。
色鮮やかな姿からは想像できないほど、花が生まれる場所には、人と花のドラマがあります。土壌や気候と向き合い、時には自然の厳しさに耐えながら、最高の美しさを追求する人々の姿。
この連載では、私たちが普段手に取る花々を育てている、花を育て、咲かせる人の実際に現地に取材を重ねてきました。
その内容をお伝えしていきます。
今回訪れたのは、福岡県にある、楢原さんのハウス。
彼がバラにかける情熱と、独自の育て方。その温かいストーリーをお話しさせていただきます。
以前紹介させていただいた楢原さんについての記事はこちら
ぜひ、産地のことを知ってもらい、花を作り、咲かせる人とも合わせて花を好きになって欲しいです。 一歩だけお花の産地へと足を踏み入れてみませんか。
「もともと、家業を継ぐ気はまったくなかったんですよ」
朗らかにそう笑う道博さんは、いちご農家の三兄弟の末っ子として生まれました。 高校時代は陸上の長距離選手。卒業後は、スポーツ用品売り場の販売員としてデパートに勤務。 バラとは無縁の道を走っていました。
そんな20歳のころ、ご両親から一本の電話が入ります。 「バラの生産を、やってみないか?」
「20歳で、先のビジョンなんて何も見えていなかったからね(笑)」 その提案を受け入れ、道博さんの人生は大きく舵を切ります。 親戚のバラ農家で1年間の修業。そして、バラと向き合う日々が始まりました。
楢原さんのお話を伺いながら、私はまず、30数年前の楢原さんに、心からの「ありがとう」を伝えたくなりました。
楢原さんが就農された当時、日本の切花産業はまさにピーク。生産者さんの数も、お花が咲く本数も、今では考えられないほど多い時代でした。 そこから30数年が経ち、ご存じの通り、生産者さんの数は減少し、生産本数はピーク時の半分近くまで落ち込んでいます。
そんな厳しい時代の中でも、道博さんがバラ作りを「続けて」くださっていること。 その歴史があるからこそ、私たちは今、楢原さんの美しいバラを手に取ることができる。その事実が、本当に感慨深く、どれほど幸運なことかと胸が熱くなります。
ふと、自分の20歳の頃を重ねてみました。 もし同じように親から「やってみないか?」と提案されたとして、私は「はい」と即答できただろうか…。おそらく、答えは「ノー」だった可能性が高いです。
もちろん、いちご農家のご家庭で育ったという環境は大きかったかもしれません。 けれど、20歳といえば、まだ何者でもなく、未来に無限の選択肢がある(ように感じてしまう)年齢です。その多感な時期に、未知の世界である「バラ生産」という道を選び、一歩を踏み出す「決断力」。
そして何よりも、私たちが本当に頭が下がるのは、その決断を一度きりで終わらせず、今日まで「続けて」こられた、その揺るぎない意志の強さです。
楽しいことばかりではなかったはずです。むしろ、苦しいことの方が多かったかもしれない。それでもバラと向き合い、私たちにお花を届けるという挑戦を続けてくださっている。
私たちが手に取る一輪のバラには、道博さんの30数年分の「決断」と「継続」の歴史が、ぎゅっと詰まっているのだと、改めて感じさせられました。
私たちが日常でふと癒やされる瞬間は、生産者さん、彼らの積み重ねた時間と想いの上に成り立っています。
「この花たちが、誰かの特別な一日を作ってくれるなら。」
そんな想いが込められた花を手に取るとき、ぜひこのお話を思い出してみてください。
わたしたちの暮らしに彩りを与えてくれる生産者さんへの感謝を込めて。
次回は第2回目をお届けします。どうぞお楽しみに。
次回予告
第2回「思いだけじゃ、ダメだ」— 暗闇で見つけた、一筋の光